はじめに|今は意味がわからなくても、きっとつながる日が来る
「どうしてこんなに頑張ってるのに報われないんだろう」
「なんで自分ばかり、こんなに苦しいんだろう」
そんな風に感じる瞬間って、生きていれば何度だって訪れますよね。
私自身、ずっとそう思っていたことがありました。特に、学生時代。
でも今になって思うんです。
あのときの経験が、ちゃんと意味を持ってつながっていたんだなって。
人生には「伏線」があって、それは後から回収されるものなんだと。
今回は、そんな私の実体験とともに、
「人生の伏線」「努力の報われ方」「意味のある経験」について考えてみたいと思います。
人生の伏線とは?回収はある日突然やってくる
「伏線」と聞くと、物語の中に出てくる仕掛けを想像するかもしれません。
実は、人生にもそれに似たものがあります。
そのときは意味がわからなかった経験。
忘れかけていた言葉や出来事。
どうしても好きになれなかった時間。
それらが、思わぬタイミングで自分を支えてくれる日が来るんです。
でも、人生の伏線は物語と違って「意味がありますよ」と親切に教えてくれません。
それに気づけるのは、たいていずっとあとになってから。
でも、それでいいのだと思います。
今はまだわからなくても、ちゃんとつながるから。
嫌だったけど、バレーをやっててよかった
私は小中高と、バレーボールをやっていました。
正直、楽しいと思えた記憶はあまりなくて、きつい練習や監督の理不尽な言動、チームメイトからの理不尽な言いがかり、試合でのプレッシャー…逃げ出したいと思うことばかりでした。

転校したいと思うほど、何なら消えてしまいたいと思うほど悩みました。
田舎の小さな中学校の世界。
逃げることさえも難しい世界で本当に追い込まれていたんですね。
でも、大人になってからふと思ったんです。
「バレーやっててよかったな」って。

当時じゃ考えられません!
今の生活も、進路も全部バレーをやっていたから出会えたものです。
バレーをしていたからその高校に進学したし、いい仲間と出会え、そのつながりで就職し今の仲間や主人にも出会えました。
当時は「なんでこんなことをやってるんだろう」って思ってたけど、
今の私をつくってくれている大切な“伏線”だったんですよね。
こっちに来てからも深く考えることはなかったのですが、ふと思い返すと今の自分は辛かったバレーを続けていたからこそこの人生に巡り会えたんだなと、やめずにここまで来た自分に感謝です。
今思えば今の道以外考えられないので、バレーをやってて本当に良かったなと思います。
努力は報われるのか?報われ方は人それぞれ
「努力は報われる」ってよく聞くけれど、実際はそう感じられないことも多いです。
頑張ったのに、結果が出なかった。
一生懸命やったのに、誰にも評価されなかった。
でも、今は思うんです。
努力って、報われるまでに時間がかかるだけなんじゃないかって。
報われる形も、タイミングも、目に見えるとは限りません。
成功ではなく、「心の強さ」や「大切な人との出会い」として返ってくることもある。
すぐに結果が出なくても、
ちゃんとどこかで、自分の中に積み重なっていくものなんだと思います。
何事にも意味はあるのか?それは“自分が意味を見つけるかどうか”
「意味のあることがしたい」ってよく言いますよね。
でも、意味ってもともとそこにあるわけじゃなくて、
私たちがあとからつけるものなんじゃないかなって思うんです。
あのときの悩み、失敗、怒られたこと、やりたくなかったこと。
ぜんぶが、今の「自分をつくる材料」になっている。
だから、あのときの私にも、
「今は意味がわからなくても大丈夫だよ」って伝えてあげたい。
いつかきっと、
「ああ、あのときのことがあったから今の自分がいるんだ」って思える日が来るから。
まとめ|すべての経験は、伏線だったのかもしれない
人生に無駄なことなんて、ひとつもないのかもしれません。
そのときは苦しくてたまらなかったことも、あとになって「あってよかった」と思える日が来る。
あなたの人生にも、まだ気づいていない伏線がきっとあります。
だから今、つらいと感じていることにも、どうか希望を持っていてください。

バレーを続けただけでしょって思われるかも知れないけど、当時は逃げ場がなく本当に辛かった。大袈裟じゃなく自死を考えるほど。

バレーが嫌だというより、取り巻く人たちが合わなすぎて。。。
その努力は、
その悩みは、
ちゃんと意味を持って、未来のあなたを支えてくれるから。
信じて、ゆっくり進んでいきましょう。
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