人と話さなくなるとまるで
「ずっと座ってたから足が伸ばしたーい!」
とでも言うようなもどかしさがあります。
主人が休職し日々の生活リズムがこんな風になりました。
今の生活
- 6:00起床
- 7:30子供を送る
- 8:00主人起床
- 9:00PCをさわる
- 13:00主人が出かける
- 15:00子供が帰宅
一応8時に起きてくるものの、飲み物を飲んだら休み、朝食を摂ったらソファに横になったりしています。
つまり、行動を起こし始めるのが平均して13時ごろになりました。
その間に家事をし、昼食を作って一緒に食べる。
主人が家にいると
少しよそ行きな動きになってしまいます。
主人がいることでいいこともあり
- 話せる
- 一人じゃない
- 尽くしてる感
外に出て誰かと話すことがない分、こうして常に誰かがいて話し相手がいると言うのはすごくいいこと。
脳の刺激になるし、話すことで気分も晴れます。
一人じゃないのでもちろん寂しくもありません。
日中在宅というのが私だけじゃない、と言う意味でも救われますね。
風邪で寝込んでる時の方が、栄養たっぷりで品数も増えてしまいます。
あれなんでなんでしょう。
そして今も誰かに愛情を注ぐと言うのは、こちらが幸せな気分になれますよね。
13時ごろになり行動開始して出かけていくのですがそうなると
- 寂しい
- 自分だけ取り残された感
- 自分だけ何もしていない
急にこんな気持ちに襲われるのです。
焦燥感半端ない。
自分の存在意義まで考えてしまう。
人に尽くしてばかりで、その相手が去ってしまうとそれ以上に大きな喪失感を覚える。
自立しなきゃ!!!
と強く誓った日でした。
たくさんのコミュニティ大事
一つのことに固執してしまうと、その一つが無くなったり崩れてしまった時になかなか立ち直れません。
今自分のコミュニティはいくつあるだろうと考えた時に、家族だけだなと再認識しました。
自分でも自立して他方にコミュニティを持ってないと自分が壊れてしまいそうです。
前話した億り人の方も、仕事一本だったことでそのコミュニティがなくなり寂しい老後になってしまったのではないいでしょうか。
家族、仕事、趣味など色んな自分を持つことって心の安定にも繋がりますよね。
副業、複業はお金という意味での安定もありますが、心の安定にも一躍買っている気がします。
「二足の草鞋」なんだか妙に腑に落ちた言葉です。
自分の目指してるもの、求めてるものってやっぱりここなんだなと思いました。
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